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悪平等主義への反動?
投稿者あけみ    長野県 歳 女性
お子様: 6年ヶ月
2005/04/22 09:56

ちょっと疑問があってトピをたてました。

よく、「運動会で手つなぎゴール」の悪平等の話を聞きますよね。そういう悪平等主義への反動からか、娘の通う小学校で、過剰な競争が推奨されているようなのです。

テレビで小学生が30人31脚をする番組がありましたよね。学校でそれをしているようなのですが、どうやら「遅い子をいかにうまく補欠にさせるか」に終始しているようなのです。

下手な子を、「補欠も立派な仕事よ!」という掛け声の下、厄介払いをしているようで、娘も遅いほうなので、準レギュラーの位置です。立派な仕事といいながら、みんながあまりやりたくないポジションを、下手な子に押し付けている状態のようです。

娘は朗読などが得意なので、朗読の時や演劇では活躍しているようですが、先生方は、
「人には得意不得意があるんだから、得意分野でがんばればいいのよ」といいつつ、実際には、その分野の行事をそつなくこなせる子にだけ任せきりにしているようなのです。

競争がいくら大事とはいえ、公然と遅い子を排除してつらい思いをさせるのがまかり通るのはおかしいと思うのですが、ちょっとでも批判する親は、すぐに「手つなぎゴール」の例を出されて反論され、悪平等主義者扱いを受けます。

競争をしつつも、お互いを助け合えるような、そして一緒に伸びていけるような教育を求めるのは、わたしだけでしょうか。

お気持ちはわかりますが・・・
投稿者匿名    歳 女性
2005/04/22 18:29

 あけみさんの気持ちもわかります。

 でも私は、その世間で言われている最近の「運動会で手つなぎゴール」等の平等主義をアホらしく感じている者の一人です。

 そもそもそんな事をしていては、子供の努力心を損なうと感じているからです。

 運動が得意な子も、不得意の子のために平等にしていたのでは、できる子は努力するのもアホらしく感じると思いますし、またできない子も、努力しなくても済む環境になってしまいます。劣等感があってこそ、なんとかそこから脱出しようと努力するのだと思います。

 教育にしても平等主義を訴え、できない子に合わせて学習レベルを下げ、そのために子供全体の学力が低下してしまいました。

 遅い子を排除して・・・というのでしたら、お子様と練習して努力してみてはどうなのでしょう。「補欠も立派な仕事よ!」という先生方のおっしゃる事も然りと思います。部活動にしても補欠が嫌なら、努力するのみ!ですしね。

 お子さんは「朗読や演劇」が得意で、運動分野は今のままで良いというのでしたら、努力も必要ないかもしれませんが。

小学校低学年だと・・・
投稿者3分1人前    歳 女性
お子様: 4年ヶ月
2005/04/22 21:15

文面からは"過剰な競争が推奨されているよう"に感じませんが、
本当に小学校低学年から"過剰な競争"があったら、問題ですね。

でも、この30人31脚にある問題は、
レギュラー人数 > 補欠人数なので、補欠のお子さんがみじめ
な思いをしてしまうことではないでしょうか?

クラス対抗リレーの場合、
リレー選手の人数 < その他の人数なので、
リレー選手に選ばれた子は光栄だけど、その他の子ども
がみじめな気持ちになることはありえませんね。

理屈っぽくなりますが
投稿者ひっきぃ    歳
2005/04/23 10:07

31人31脚って、すばらしくチームワークがよくて、あれができるってすごいと思います。
確かに本音を言ってしまえば不器用な子供は足を引っ張るだけだし出したくないと思います。
でもみんな出たい、ではどう言ったら補欠の子供を説得できるか、それって結局「補欠も立派な仕事」であるということを説明するしかないと思うんです。
補欠になった子供は哀しいかもしれませんが、ではもっとひどい言葉で落とされるより、先生やレギュラーの子供達にとっては精一杯の言葉だと思うんです。
悔しかったら努力する、これから大きくなってもっと理不尽なことってあると思いますし、そんなヤワな言い方でなく、もっともっとひどいこともあると思うけど、いずれそういう社会に出るんだから、そこで拗ねたり悲しんだりしてもいいと思いますがそこで立ち止まるだけでなく、いつかそれを努力に代える、それを覚える機会だと思うんです。
朗読や演劇が長けているようですが、ではかりにそういう場があった時、きっと貴方のお子さんと同じような気持ちになるお子さんっていると思うんです。
くやしかったら努力する、努力は無駄になることありませんから。
私はそうやって競争したり優劣をつけるの賛成ですよ。
競争意識こそ人間伸ばすものだと思いますし、そこで負けた人間はまた努力する、悔しかったら努力するのが一番前向きではないでしょうか。
今、小学校の運動会って紅組白組で勝ち負けをつけない学校が多いんだそうですね、負けたほうが落ち込むからとか、努力したのに負けて哀しいから、とかって聞いたことありますが、如何なものなんでしょう・・・・・・・・・・・

ひっきいさんに同感です
投稿者匿名    歳 女性
2005/04/23 14:44

 ひっきいさんの意見に同感します。

 平等主義とは結局、子供の得意分野の才能を伸ばさず、不得意分野も補わない 事になるのではないかと感じます。

 ひっきいさんがおっしゃったように、現実の社会は競争社会です。小学校低学年からはどうなのか・・・というご意見もわかりますが、平等主義で軟弱に守られて育てられた子供が、実社会に出た時に、勝ち抜いていける強さがあるのか疑問です。

 運動分野は不得意で、運動能力というものは種目によっては(例えば徒競争など)いくら努力しても元々才能がなければ難しいかもしれません。
 しかし、結果無駄であっても、お子さんが頑張って努力した過程は決して無駄ではないと思いますから、どうぞお子さんと二人で頑張って下さい。

うまく言えませんが
投稿者うーや    34歳 女性
2005/04/23 22:12

 人間は、すべての分野において全部が得意、または全部が不得意、ということはめったにないと思います。大切なのは、その枠の中や数字だけにとらわれないで、その子ののトータルで見てあげる、ということだと思います。

 何かに選ばれた子、または得意な子は、そうでない子をバカにしないように、そして何かに選ばれなかった子、または不得意な子は、そうでない子に対してひねくれない様に、大人がもっと試行錯誤するべきだと思います。

 悪平等も過剰競争も極端すぎるんですよね。100点でなければ0点と同じ・・・みたいな?確かに出来る子にまかせたり、出来ない子は排除した方が大人は楽かもしれません。でも難しいけれど、そこをそうしないで、大人も子供も一緒に悩みながら進めて行ける・・・というのが私の理想です。

 考え方が両極端にならず、トータルで見ることができるように進めて行くのが、先生や親、大人の力量ではないでしょうか?

2002年ワールドカップの時
投稿者なつき    31歳 女性
お子様: 女の子 4年ヶ月 / 女の子 2年ヶ月
2005/04/24 01:06

覚えている方もいらっしゃると思うのですが・・・。
2002年のワールドカップの時、ベッカムが所属するイングランドの
チームがどこかの地方自治体に滞在したときか、訪問したときか
定かでないんですが、地元の子どもたちにサインをしたんです。

で、運良くベッカムのサインをゲットした子どもが何人かいたんですが
教育委員か、学校の先生だったか忘れてしまいましたが、「不公平だから」という理由で取り上げられてしまった、ということがあったんです。

「みんなの分がないから没収」
一見、これで問題解決、のような感じもするけど、それって
問題をなかったものにしようとしているだけ?大人にとって
一番楽な方法をとっただけ?と感じたのを覚えています。

人生って、絶対に「みんな平等」ではないですよね。
それは、この世に「おぎゃー」と生まれたときから始まっていて
死ぬまで逃れられないことだと思うのです。
運がいい人もいれば悪い人もいる、勉強が出来る人もいれば
出来ない人もいる、走るのが速い子もいれば、遅い子もいる・・・。

小学校低学年で、それを理解するのは難しいかもしれませんが
変な意味の「みんな平等」を教えるのではなくて、
自分に劣っている部分があるなら努力すること、そして努力しても
どうにもならない事がある、ということ、そして時にはあきらめることも必要だ、ということを年齢にあった言葉で教えてほしいな、
と思いました。

それを学校に望むのは無理なのかもしれませんが。

あいまいな部分が多くてすいません。

間違えたし
投稿者ひっきぃ    歳
2005/04/24 01:24

私のカキコです。

>31人31脚って、

30人31脚、でした(^^;;;;;;;;

トピ主です
投稿者あけみ    30歳 女性
お子様: 6年ヶ月
2005/04/24 10:26

少し言葉が足りなかったようで、誤解を与えてしまいました。すみません。

もちろんわたしも手つなぎゴールには反対です。足が速い子もいれば遅い子もいる、だったら早くなれるように頑張ろうという気持ちが大事なのも、重々承知の上です。

しかしこの娘のクラスで行っていることは、かなり極端な競争なのです。
露骨に「あの子がいたら負けちゃう!」と言うのは悪いことだとわかっているため、露骨には言わないけれど、実際には「遅い子をいかにチームから抜かすか」に終始しているようなのです。

いくら自分の娘が朗読や演劇に出ていても、こういう方法で決められるのかと思うと心配なのです。
いくら上手でも、自分が全ての出場権を独占する権利などないわけですし、社会に出たら、自分とは能力の違う人と協力できないといけないわけで、うまい子同士とだけしか協力したことがないようでは、結局その分野しかできない人になってしまう可能性もあるので。

0%か100%かの極端な悪平等や競争主義ではなく、その中間、50%くらいのあいだで、出場権はある程度どの子にも平均的に与えられ、余った50%分をできる子同士の競争にするとか、不得意な子も、不得意なりに、なにかしら経験ができるようになにか方法を考えて欲しいのです。
でないと今は、不得意な子は、現時点で不得意だというだけで、その分野にチャレンジする機会すらも与えられていないのです。

悪平等主義が才能をつぶすからよくないのと同じように、極端な実力主義もまた、才能を早くから決めてしまうおそれもあり、本人のためにならないのではないかと。

このあたりが言葉が足りなかったようで、誤解を与えてしまいました。すみませんでした。

親次第(少し厳しいレスです)
投稿者さくもも    歳
2005/04/24 18:08

残念ながら 子供という物は親の理想に反して
かなり残酷な面もあります。
その代わりに 立ち向かう強さもあるのです。

お子さんは 今回の事で何か行動を起こされましたか?
たとえば 練習をひとりでするとか・・・
早く走れるように特訓するとか・・・
そうでなければ お子さんの中で どこか「仕方がない」と思っているのかもしれません。
悔しければ 練習するでしょう。
お子さんの中で 自分なりに処理をしているのだと思います。
そういう葛藤が 子供時代に一番必要だと思うのです。
社会の中ではこう言ったこと沢山あります。
子供でも スポーツの世界はできない子は補欠
出きる子はレギュラーでしょう。
補欠で納得がいかない子はひたすら練習です。
>不得意な子も、不得意なりに、なにかしら経験ができるようになにか方法を考えて欲しいのです
他力ではなく、子供が望むなら 親が一緒に考えるべきだと思います。
子供がどう生きるかも親次第だと思いますよ。

我が家はどうしようも立ち直れないと言うくらいの経験をしました。
でも、子供達は葛藤しながらも進んでいってくれます。
時には親の私を支えてくれています。
子供は大人より強い物です。
辛い思いをしないのが子供のためとは 言えないと思います。理不尽なこと、理解できないこと、答えのないこと、挫折、 それらを沢山経験して 大きくなった子は本当に強いと思いますよ。(大人になってから経験すると立ち直れないのですがね)

私の行ってることは極端かもしれませんが、
ある意味、マイナス的に駄目だ駄目だと言うよりも
やりたくないことをしている=我慢の勉強
レギューラーで出れなかった=次への原動力
くらいに親は大きく構えて プラスへ持っていっていると
子供もプラスの考えにしていけると私は思います。  

追加(子供の立場なら)
投稿者さくもも    歳
2005/04/24 18:26

あ、あと、もしあけみさんが お子さんだったらどうして欲しいですか?

50%平等に権利を与えてほしい?
それとも足の速い子で出場して勝って欲しい?

親の立場でなく 子供の立場として考えてみてくださいね。
それからお子さんと話し合い、
お子さんがどうして欲しいのかを聴いて
学校と話し合った方が良いと思いますよ。

私は足が遅かったので 運動会では
クラス対抗リレーには出れませんでしたが
それでも 自分のクラスの子が勝の嬉しかったですよ。
めいいっぱい声だして応援しました。

うちも長女が文系なので
もしもそういうことになったら出場外となると思いますが
何かしたいと思うなら
お守りを作ったりするかもしれないですね。
お揃いのはちまきとか・・・
そういう参加の仕方もあるのではないですか?
それをつけて出場してくれたら 嬉しいし 自分も何かをやった気分になるような気がします。

>50%平等に権利を与えてほしい
これは 本当にお子さんが望んでいることでしょうか?

二軍練習?
投稿者シロビー    千葉県 44歳 男性
お子様: 男の子 10年8ヶ月 / 男の子 4年9ヶ月
2005/04/24 19:31

「不得意な子も、不得意なりに、なにかしら経験ができるようになにか方法を」
というので、なんとなくレスの主旨が見えてきました。
私が中学校で陸上部のコーチをしていたころは、リレーや駅伝の練習には一軍・二軍・三軍などつくって、力を見ながら入れ替えとかやってました。
その入れ替え的なものがほしいというようなことでしょうか?
なにもさせず、挑戦するチャンスすら奪っている学校のやりかたに憤りを感じてらっしゃるのではないかと。

補欠の子は練習してないんですか?
「補欠も立派な仕事」というからにはレギュラーがもしもの時に備えて
なにかしらさせているのではないのでしょうか?
なにもさせられず、私の想像通りの思いでいるのでしたら、
私なら学校にその旨伝える…かな…。

でも、30人31脚じゃリレーなどとは違い、
人が入れ代わったり、並びの順番が変わったりで影響がでてきそうですね。

どうして?
投稿者キシリトール    歳 女性
2005/04/25 10:40

競争、ですよね?
勝ち負けがバッチリわかる真剣勝負ですよね?
公然と遅い子を排除して、速い子を有利なポジションに。
運動が得意な子には、それを存分に発揮できる機会を。

どこか、なにか、困ったことがあるんですか?
子供は、勝負事が好きです。皆仲良く楽しくと言いつつも、勝ち負けにはそりゃあもう、拘ります。過剰な競争?体育関係に関わらず、何の「競争」もせず手にした不戦勝のような「勝利」が嬉しいでしょうか?

ともすればその気持ちが「○○くんは遅いから走るな!」「△△ちゃんのせいで記録がのびない!」「わたしは遅いからどうせ選手になれないし…」なんてことになりがちな所を先生方が教育的配慮として「補欠も立派な仕事。人には得手不得手があるのだから」と言って下さっているのでしょう?

排除される辛さを味わうのも、子供時代には必要ですよ。
それが「いじめ」ではなく「ひとつの行事」だったのは幸いです。

努力あるのみ
投稿者ひっきぃ    歳
2005/04/25 12:15

ひどい話かもしれませんが

>「遅い子をいかにチームから抜かすか」に終始しているようなのです

そういうものなんだと思います。
だって、できない人間がいたら足引っ張るのは周知の事実、確かにその落とされた人間にしてみたら酷かもしれませんが、それが現実なんです。
もっと先に大きな目標があって、その為には落とさざるを得ないからです。
できる人間は人を落とすことを何とも思いません。まして落とされた人間の心情を考えるよりも、いかに30人31脚を成功させるか、ということを考えています。多少の程度の差はあれど、レギュラーになる子供と、補欠の子供の考えていることの次元が違います。
まして、TVなどで報道されるとなれば、できない子供の気持ちよりも、その学校のこれからにも関わる訳です。
悪い言い方に聞こえるかもしれませんが、できる子供やその親は貴方のような悩みは持ちません、なぜなら努力して今の成績があるからです。
競争ですよ、能力主義だと思います。
それこそ、できる子供の親御さんに聞いてみたら如何でしょうか、どうしてそんなに多芸というか、家庭ではどのようにしているのかって。

>極端な実力主義もまた、才能を早くから決めてしまうおそれもあり

確かに子供はいろんな可能性を持っていると思うのですが、それを伸ばしてやる方法として、学校が極端な実力主義だと仰るのでしたら、家庭とか、塾とか、それ以外の場所で伸ばしてやるのがいいかと思うんです。
で、学校でそれを発揮する。

よく分からないのですが
投稿者たわし    歳
2005/04/25 15:36

今ひとつ、状況が理解できないのですが。

まず、練習が体育など授業時間に行われていて、レギュラーの子供たちと補欠の子供たちが別々のことが多い。さらには先生はレギュラーの練習中心になるなどは問題だと思います。

また、この30人31脚の目標は何ですか?
単にタイムを競う、テレビ出演を狙っている、地域や校内で大会がある・・・。まだ4月ですが、クラスの中で盛り上がっている(?)のは昨年度から学校全体で行っている行事だからですか?いずれにせよ(実際には分かりませんが)クラス全体が一つのことに長期間執着し過ぎ、そのことに他の時間を割くことには賛成しかねます。
あけみさん自身は具体的にどういったこと(先生の指導や練習の内容など)を問題だと思っているのか例をあげて頂くと分かりやすいのですが。

反論されると「手つなぎゴール」の極端な例をすぐに出すこと自体、「何かあるな」と感じました。そこまでしないと先生側は自己の正論を主張できないのでしょうか?

また、あけみさんのお嬢さんは朗読や演劇でご活躍ですね。その場合、代表にはどのように選出されるのでしょうか。あけみさんの書き方ですと、クラス内で全員が発表をしたりせずに、先生が「○○さん(あけみさんの娘さん)は得意だからお願いします。」と言って決めるような印象をもちましたが・・・。

競争社会アメリカの少年野球の話
投稿者3分1人前    歳 女性
お子様: 男の子 4年ヶ月
2005/04/26 22:50

主人の友人でアメリカの田舎に住んでいる人から聞いた
少年野球の話です。

そこの地域だけのローカルルールかもしれませんが、
レギュラー9人以外のベンチにいる子供全員にも打順が回ってくる
そうです。
競争型社会と幼少期の教育で大切なことは別々に考えるべきか
なと思いました。
幼少期に楽しい思い出がたくさんある人のほうが、
過酷な競争社会に出てから強いのかな?

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