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教えてください
投稿者2時の母    大阪府 歳 女性
お子様: 男の子 年ヶ月 / 男の子 年ヶ月
2004/03/07 09:04

叔母がガンの宣告を受けました。
まだ検査が全て済んでいませんが、末期で多分全身に転移してるだろうと‥

離婚したり、愛人をしていたり、再婚したと思ったら旦那さんに自殺され(喘息を苦にしていたようです)親族に罵られ‥今の旦那さんとも不倫から始まり‥
「男にだらしがない」「金使いが荒い」「パチンコばっかりしている」とうちの両親やいとこ(叔母の子供)にまで、いつも陰口を言われてた叔母ですが、私には1度もお金を借りに来た事はなかったし、それどころか病気の時などは差し入れてくれたり、私に子供が出来てからは孫以上に(いとこには「孫の面倒も見てくれない。孫が可愛くないの?」とまで言われていたのに)可愛がってくれ、遊び・あやし・お菓子を買ってくれました。
私には「もう1人の母」、うちの子達には「もう1人のバア」です。

辛くて辛くて仕方ありません。
どうすれば、どう考えればこんな気持ちを乗り越える事が出来るのでしょうか?
教えて下さい。

今は元気にいつも通りの叔母ですが、部屋が空き次第、入院して検査・抗がん剤投与となるそうです。
抗がん剤を投与されると体力が落ちて今の生活は出来ないと聞きました。
家族は「95%治らない」と医者に言われたそうですが、そんな病状の叔母に抗がん剤は必要なのでしょうか?
治療はせずに痛みを取り、死ねる病院があると聞きました。
どなたか知ってる方はいませんか?
病院に行って聞けば良いのですが、次の診察日まで日があるとのと、叔母はガンと知っていますが「末期ガン」とは思っていませんので、叔母に内緒で話を聞くのが難しくて‥


お辛いですね・・・。
投稿者みゆか    岐阜県 26歳 女性
お子様: 女の子 2年6ヶ月
妊娠:  6 ヶ月
2004/03/07 21:42

2児の母さん本当にお辛いでしょうね。
私は以前病院で働いていました。
放射線治療にも携わった事があるので
少しだけですが分ることを・・・。
上の方が書かれているように
ホスピスですとできるだけ痛みをとって
最期まで見てもらえると思いますよ。
やはり病院ですと、治療をせずには、いれません。
抗がん剤は対処療法としてされるのではないかと思います。
少しでも長く生きれるために。
でも、抗がん剤はがん細胞だけでなく
正常な細胞までも、やっつけてしまうために
身体も弱ってきます。
もし2児の母さんが、叔母さんをホスピスの方へ
とお考えでしたら、
叔母さんの主治医と話すのが一番よいと思います。
ホスピスのことを教えていただけると思いますよ。
ただ、家族でないと話が聞けるかどうか・・。
ご家族の考えもあるでしょうから
一番近い家族の方と話すのがまず最初かと思います。
あまり、参考になってなくてすいません。



辛い‥
投稿者2児の母    歳 女性
2004/03/08 00:44

ashさん、みゆかさん、ありがとうございました。
ホスピス探してみました。
ちょうど近くにあったので、もしそこに入る事になったら毎日のように会いに行けそうです。

明日、叔母の子供達が私の実家に集まって話をする事になっています。
本人に「末期ガン」と伝えるかを話し合うつもりです。
叔母は「検査結果で末期ガンと言われたら、もう抗がん剤も使わへん。転移してたら治る筈がない。60過ぎまで生きたらもう充分や」と言っていました。
もう末期ガンだと宣告されているとは知らずに‥

叔母に末期ガンだと教えて良いのでしょうか。
人はそんなに強いものでしょうか。
私なら知りたくない。きっと耐えられない。
でも耐えられる人もいるんでしょうか。知った方が残りの人生を幸せに生きられるのでしょうか。
どなたか身近な人に同じような経験をされた方、おられましたらアドバイス下さい。

今日、皆で(叔母の家族と私の家族)鍋をしました。
いつも通り、何も変わりないのに‥信じられません。
うちの息子達に誰よりもせっせとご飯を食べさせてくれ、ぶっきらぼうだけど、とても優しい叔母です。
「○○(叔母の名前)とこ行く〜」といつも叔母を慕っていた長男。二男もあやしてもらって嬉しそうにきゃっきゃっ笑っています。
こんな風景がもう長く続かないと思うと悲しい‥

私の母は
投稿者さんぼん    東京都 36歳 女性
お子様: 男の子 1年6ヶ月
2004/03/08 08:56

2時の母さま、がんばってますか?
参考になるかわかりませんが私の母も末期がんでした。
健康診断で発見され当初は胃潰瘍だと説明されていましたが
そのときすでに本人はがんだと確信していたようです。
その後手術をして多くの臓器を摘出し、抗がん剤治療も
行いましたが残念なことに転移してしまいました。
母は気の強い人でしたので告知されることを望み、医師から
告知されました。そして治療。本当にがんばっていたと思います。そして末期だと知ると延命治療を拒否しました。
私たち子どもの前では気丈にしていましたが担当医師には
「怖い。どうしたらいいかわからない。」と言っていたそうです。
それでも母は告知されないで死ぬなんてイヤだと言っていました。
自分のことを自分だけが知らないのはイヤだと。
自分が死ぬことが怖くないひとなんていないと思う。
周りの人間も愛する人が死に行く姿を見るのは本当に辛い。
でも一番辛いのはやはり本人です。
すべての人が告知を望んでいるわけではありません。
告知をすべきか否か、よく考えてください。本人のために。
周囲の人間のためでも担当医師のためでもなく。
短い間でもよりよく生きるための手助けをしてあげて下さい。

2時の母さまご自身もお体に気をつけて。

本人の意思と家族の思い
投稿者コーン    歳 女性
2004/03/08 09:25

辛いですね。

3年前に祖父をガンで亡くしました。肺にガンが見つかったのは亡くなる1年半前です。祖父は治療しませんでした。本人の意思です。

末期ガンと言う事で、本人が耐えられるかどうか。。。その人次第って言ってしまうとそれまでになりますが、祖父は治療しないのを選んだと思います。家族と過ごすのを選んだと言う事です。
祖父の死、ガンと戦う姿を見て、私なら末期ガンであることを言って欲しいと思いました。それは、死を覚悟するということで怖いです。祖父も怖かったと思います。残りの人生をどう過ごすかというのは本人が選択すべきだと思います。
家族の思いとしては、少しでも長く生きられるなら・・・というのもあるでしょう。ですが、最後の姿を見た時「おじいちゃんありがとう。がんばったね。楽になったね」としか浮かびませんでした。常々祖父はおまえの結婚式にも出て、曾孫も見れたので思い残す事はない」と言っていました。
祖父は肺ガンと分かっているけど、隠れてタバコ吸っていました。最初は祖母も「止めた方がいい」と言い続けていましたが最後の方は見てみぬ振り・・・心配はかけたくないから隠れて吸っていたと思いますが、吸わずにはいられなかったような・・・。

医者に「あと1年くらい」と言われたとき、信じられませんでした。すごく元気でしたので・・・。でも、当たっていました。悪くなる時はいっきにと言う感じです。祖父も、自分には時間がないと思ったのでしょう。。。庭弄りが好きで、毎年春にはチューリップをたくさん咲かせていました。でも、残り少ないと感じでいたようで、いつもの年より早くチューリップの球根を植えていました。その頃は杖なしでは歩けないほどだったのに・・・。
そのチューリップも見ることなく亡くなりました。

私がしたこととしては入院してから、毎日病院に通いました。運転できない祖母、母を連れて・・・そして息子も連れてです。祖父は日に日に悪くなって話すことも出来なくなりましが話しかけました。うなずいてはくれるのですよね。最後の日は祖母と私の2人になりました。息子と主人が家にいるので、祖母を置いて自宅に戻りました・・・が、その3時間後に亡くなりました。

73歳でした。人はいつか死ぬんだなって思いました。身内の死を経験したのは初めてでした。祖父は、ガンと知った時にどうやら遺書も書いていたようでした。財産のこともありましが。殆どは自分の人生、残した祖母の事を頼むとありました。

2児の母さんもお辛いでしょう。でも、これから病気と付き合い、闘う叔母さまはもっと辛いはずです。末期ガンであることを告知するかどうか、よくご家族と話し合ってください。叔母様にもお子さんがいらっしゃると言う事ですよね。考えもあるかと思いますので。。。


祖父
投稿者まい    歳 女性
2004/03/08 14:17

私は以前医療に携わった事があります。
祖父が肝臓ガンの末期で余命1年と宣告されたときのことです。
手術はしない、告知はしないということで治療は続けられましたが、当時若かった私は疑問に思いました。

自分の病状を伏せられ、毎日何の薬か分からないまま投与され、
ほとんど会うことがない遠方の親戚が見舞いに来て、体のあちこちが日増しに痛くなり、病気をしているのは祖父なのに、なぜ大人たちはこんな残酷なことをするのだろうと・・・

あるとき看病の母が祖父の横でコーヒーを飲んでいたとき、コーヒーの好きだった祖父が「飲みたい」といったそうです。
「お医者さんに止められているから治ってからね」といったそうですが、祖父はなんともいえない顔をしていたそうです。
母はいまだに「医者に怒られてもいいから、爺ちゃんの死期を早めてしまってでも、あの時一口飲ませてあげたらよかった」と後悔しています。
結局、余命1年といわれていたのに半年も経たずに逝ってしまいました。
誰のための、何の治療だったのか・・・

何年か前に末期がんの患者さんの担当になったことがあります。その方はお子さんが2人いらして、告知はされずにいました。
お子さんの前では「もうすぐ家に帰れるからね、我慢してね」と気丈な振る舞いをされていましたが、誰もいない所では遠くを見つめ、泣いてらしたこともありましたし、「わたし、なおらないんでしょ?」「自分ことなのになぜわたしが知らないの?」と問い詰められたりしたこともありました。


当然、告知して欲しくない人や「告知してくれ」と本人が言っていてもいざ告知を受けると壊れてしまう人もいます。
本人が告知してもいい人かどうか、見極め、判断するのはとっても難しいことです。
告知されてから自分のことを何も知らされず病院で最期を迎えるか、自分らしく最期を迎えるか・・・

ホスピス病棟は行った事がないのでわかりませんが(ごめんなさい)ドラマにあるようにモルヒネ等の痛み止めや抗がん剤服用、通院等で自宅で過ごされている方もいらっしゃいます。
その場合はなにか不都合があった時が困るので支えてくれる(どなたかそばにいてくれる)人が必要だと思いますが・・

祖父が告知しても前向きに残りの人生を過ごしてくれたかは分かりませんでしたが、私は1ヶ月でも2ヶ月でも自分の家でしたいことをさせてあげたかったな、と思います。

主治医と話しました
投稿者2児の母    歳 女性
2004/03/09 08:15

さんぼんさん、コーンさん、まいさん、辛い経験を話して下さってありがとうございます。
ガン(ガンでなくても)で大切な人を亡くした、今現在戦ってる人達は沢山いて、みんな頑張っているのに弱虫な自分が情けないです。

昨日、叔母の主治医と話す事が出来ました。
今1〜4期あるうちの4期である事、頚のリンパ腺にもおそらく転移しているという事(頚のリンパ腺に転移してるって事は全身に転移している可能性が高い)、大き過ぎて手術は無理だという事を聞きました。
こちらからホスピスの話もしたのですが、「乳がんには抗がん剤がよく効く場合が多いので、ホスピスを考えるのは早過ぎる。体力のある内に抗がん剤で出来るだけ小さくしておいた方が良い」と言われました。
叔母の息子はホスピスは反対で「少しでも可能性がある筈。戦うべきだ」と言っているので、取りあえずは抗がん剤治療をすると思います。

抗がん剤にも2種類(ホルモン療法と化学療法)あって、ホルモン療法には比較的副作用は少ないのですが、それが効かないと化学療法になるのですが、それは副作用が多いのですが、それも人それぞれで、軽く済む場合もあると聞きました。
「叔母にホルモン療法で効けば幸い、最悪化学療法になったとしても副作用が軽く済むかもしれない」そう思う事にしました。

告知は‥今は誰もがする勇気がありません。
動けなくなったその時に考えようと思っています。動けなくなってから言って意味があるのかは疑問ですが、今元気で普通に生活している叔母にはどうしても言えないのです‥
いとこは「強がっているだけで本当の事を聞いたらどうなるか分からない」と言っているし‥

叔母の乳がんは外から見える範囲で手の平大の潰瘍が出来ています。出来物が出来ていたのはみんな知っていて、病院に行くように何度か言ったのですがまったく聞かず‥
私が5年程前に見た時は3cm位の出血を伴う突起物でした。それ以降見せようともしないし、「痛くないから」と病院に行こうとしませんでした。
周りは今とても悔やんでいます。
「何故あの時無理矢理にでも病院に連れて行かなかったのか」
何度か一緒にお風呂に行ったりプールに行ったりもしていたのに、そんなに酷くなった傷を上手に隠して、今まで見る機会がありませんでした。
「あれ程酷くなっている傷を見たならどんな事をしてでも病院に連れて行ったのに‥」と

私たちの選んだ選択は本当に間違っていないのでしょうか‥
不安でしかたありません。

わかってると思います
投稿者さくもも    歳 女性
2004/03/09 17:56

そこまでであれば ご本人は何となくわかっておられると思いますよ。
主人の母も余命一年といわれ半年でなくなりましたが
告知はせずとも 感じておられたようです。
ただ、私の知り合いの親が 乳ガンで余命1年と言われ6年 生存された方がおられます。
6年の間に 旅行に飛び回っておられました。
とても明るい方で 気持ちが病気もふきとばすんだなあと感じました。
そして何より 周りの方が 旅行 行こうが何しようが 温かく見守っていました。病気なんてないかのように・・・
人が亡くなるとき 周りにいる人は 誰もがどんな些細なことも後悔するのかもしれません。ああしてあげれば良かった、あんな事言わなければ良かった、自分がしたことが正しいのか・・・誰もがそう思うと思います。
だけど、今 大切なことは後悔するよりも 今からの時間を 大事にしてあげる事ではないかと私は思いますよ。
してあげたいことを沢山してあげてほしいと私は思います。

さくももさん、ありがとうございます
投稿者2児の母    歳 女性
2004/03/10 15:23

悪い事は重なるもので、従兄弟が亡くなりました。
そのお通夜・お葬式の関係でバタバタとしていて、叔母とはまだ話をしていません。
でもちょっと時間が経って、私の気持ちも少し落ち着いてきました。
近々ゆっくり話す機会があったら、こう言おうと思っています。

最初はガンって聞いて私もビックリして心配してたんだけど、先生に詳しく聞いてみたら、乳がんには抗がん剤がよく効くって言うし、今度の検査でもし転移していても胸と同じ種類のガンだから一緒の抗がん剤で効くって言ってたから、心配しなくても大丈夫そう。
それよりも抗がん剤の副作用が人それぞれだけど、結構キツイかもしれないけど、頑張って欲しい。
乳がんで余命1年って言われて6年生きた人もいるらしいし。(さくももさんのお話を引用)でもその人はすごく明るい人だったらしいから、気持ちの持ち方って大切だから「60過ぎまで生きたし、もういい」とか言わず、前向きに考えて行こう。
抗がん剤で少しでもガン細胞が小さくなれば、それだけ寿命も延びるんだし。
これまで長い間病院にも行かずに長持ちしたって事は進行の早いガンではないって事だろうから、あまり心配せずに頑張ろう。
ただ、ガンっていうのは治ったと思っても気付かないうちに再発してたり、死と隣り合わせの病気だし、ガンでなくてもうちの両親もおばちゃんももう歳だし、残りの人生はそんなに長くないかもしれないんだから、これからは悔いのない様に、やりたい事をやって、食べたい物を食べて楽しく生きていこう。と‥

自分の中でこれが嘘のない、精一杯の言葉です。

化学療法を受けられるならば・・・
投稿者医療関係者    歳 女性
2004/03/12 09:42

多かれ少なかれ副作用のことは考えたほうがよいので、いかに体力を温存するかが治療効果をあげるのに必要だとおもいます。
そのためには漢方薬の併用が有用と考えます。特に、食欲、精神面への支えに有用と考えます。主治医の先生が漢方を否定的に考えていらっしゃるのならば難しいですが、癌を治療するというより、抗癌剤に治療に耐えられる体作りのためということで相談されると良いと思います。とはいえ、制癌作用もないわけではありません。
 ただ、漢方薬は誰にでも同じ種類の薬が効くというわけではないので病状、体力に応じての処方が必要です。専門医への相談が望ましいと思います。もし、御希望であればこちらのほうで問い合わせて近くの医療機関を調べてみますので御連絡ください。また、いまお元気で少々遠方でも出かけられるということであればまずは存じ上げている漢方医を紹介させて頂きます。
 また、遠赤外線療法も有効だという話も聞きます。残念ながら私には経験がありませんが、調べてみたいということであればHPのアドレスをご紹介しますので「こそだて郵便局」にて御連絡ください。
 告知に関しては様々な考え方があります。個人的な意見としては現在希望を持って治療を受けられるお気持ちであればまだ末期であるという必要はないと思います。ただ、病状が悪化してご本人が不安を強く感じるようになったときはお話したほうがよいかもしれないですね。というのは、告知をしないことによって、御本人が末期癌に対する恐怖を相談する相手を失うことになるからです。私はもう死んでいくんだということを話したくても、みんな、そんなことはないと否定することしかできないわけですよね。でも、体がどんどん悪くなっていくのは本人が一番良くわかるわけです。告知することによって一緒に悩み苦しむことごできるのでは?と思うのですが。告知をしないことが、患者さんとその周りの方々に壁を作るような気がします。
 きっとどういう選択をされても、これでよいのか?という考えはつきまとうと思います。でも、一生懸命考えて出された結論はきっと最良の選択なんだと私は信じています。

感謝
投稿者2児の母    歳 女性
2004/03/12 11:02

医療関係者様、今子育て郵便でお手紙送りました。
早く届いて、早くお返事が頂けます様に‥
一刻も早く漢方薬を服用させたいと思っています。
遠赤外線治療法も調べてみたいです。

希望が湧いて来ました。
本当にありがとうございました。


その他、心配して下さった皆様へ‥
先日叔母に話をしたら「頑張る。そうでないと心配してくれたのに水の泡になるから」と言ってくれました。
その言葉を支えに今、みんなで前向きになろうとしています。
これから検査結果を知ったり、抗がん剤治療で少なからず体力の衰える叔母を見ながら現実に向き合う度に不安になると思いますが、みんなで頑張って行こうと思っています。

何事もない、幸せな時間は儚いものです。
それに気付いて皆が「今を大切に生きて欲しい」と思っています。

お返事出しておきました
投稿者医療関係者    歳 女性
お子様: 女の子 年ヶ月
2004/03/12 17:44

こそだて郵便局のほうにお返事出しておきました。

申し訳ないです。
投稿者医療関係者    歳 女性
2004/03/13 13:28

私の勘違いでやきもきさせちゃいました。
今、メールを送りなおしました。
万が一届かない場合はまた御連絡ください。

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