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言葉について
投稿者みーしゃ    30歳 女性
2005/03/11 02:41

子育てに直接関係なくてすみません。
このサイトで言葉遣いが問題になることが多いですね。
私自身言えた立場でもありませんが、少なくともどんな人であれ、言葉に無関心であるべきではないと思っています。

というのも、今の子供が抱えている問題にこのことが深く関わっていると思うのです。

未成年の起こす事件が後を絶ちませんが、供述などを読むと「本能」と「(不安定な)感情」に極端に偏っていると思いませんか。これに知性と理性が加わって人間の心は成り立っていますが、最近感じるのは、人間が確立すべきレベルにまで心が発達していない子供が非常に多い、ということなのです。

人間が人間らしくあるためには、心が健全であるためには言語が不可欠。言語能力=思考能力です。言葉を駆使して考えるからこそ思考に深みが加わるし、自分自身に対して、世の価値観の変化に対して相対的に、総合的に判断ができると私は考えています。

今私にできることといえば、自分の子供に本を読んでやる、読む環境を作ってやることと、身近に接する若い人たちに本を読むようすすめること、せいぜいそのくらいです。もちろんそのために私自身の読書も欠かせませんが。
ただ、それは時代性に必ずしも合っている考えではなく、無力な私は学校の(特に国語の)教科書に目を通しては悲しい思いをしています。母国語がお粗末なのに、膨大な予算をかけて早期英語教育をして何の意味があるのでしょうか。数学の文章題をどうやって解くというのでしょうか。学力低下の原因は言語能力の低下。私にはこう思えてなりません。

これでも言い足りませんが、長くなりすぎないよう努力して短くしたつもりです。私の意見に対してどのように受け取っても構いません。ただ、親として必ず考えるべきことだと思うのです。批判や意見が伺えると嬉しいです。

親の努力から
投稿者MMマミー    北アメリカ 42歳 女性
2005/03/11 04:50

私は言葉それ自体の問題よりももっと深いものを感じます。社会現象として核家族化、夫婦共稼ぎ、一人っ子、など、家族同士の会話も減っているのでしょうし。

また、ほとんどの親が子供を取り巻く学校や政府、地方自治体には、少なからず文句があると思います。
でも、他者を責めているだけでは、何の解決にもなりません。まず、改めるべきは、子を育てる親の態度では。そして、親自身が自分の子供に何をしてあげられるかが一番問われるのでは。

今の子供を取り巻く環境はとても複雑にみえますが、彼らは、石のごろごろしたぬかるみのあるでこぼこの土ではなく、舗装された平坦なアスファルトを歩かされているように感じます。

私が小さいころは、放課後になるとランドセルを放り投げて、春には小川でおたまじゃくし取り、夏には虫かごと網を持って虫取り、秋には野原でススキ取り、冬には雪遊びと、夕暮れ時になって、母が私を探しに来るまで外で遊んでいました。
たまり水の中に友達と飛び込んで、泥だらけになったり、親に怒られても、何度もやりました。

そういう体験は今のこどもたちにはないですよね。

本をたくさん読んであげるのはいいことだと思います。
私も、30分から一時間ほどですが、毎日毎日続けて読んであげます。そして、子供とテーマを決めて会話もします。適切でない言葉、文法を使った場合は、その場で、紙に書いて説明して訂正します。

母国語教育と同様、英語教育は必要と思います。日本人には門戸を広げ、見聞を高め、国際的な人材を育成して、国内外でもっと活躍していただきたいです。発展途上国では海外企業進出などの理由で英語でコミュニケーションできる方々がとても多いですよ。

あとは、自然の中での疑似体験。
たとえば、テーマ「川を作ろう」と題して、雨の日に庭に出て、子供たちに雨カッパを着せて、バケツとシャベルを持たせ、外で遊ばせます。近くに本物の川がないので、自分たちで川を作ったり、石をおいて水の流れをかえたり、魚のおもちゃを泳がせたり、子供たちは大喜びではしゃぎます。子供の笑顔はとても美しく、会話も弾みます。

限られた時間の中、子供に何をしてあげられるか、試行錯誤の毎日です。心身ともに健康な子供に育って欲しいと願いつつ。

実に素晴らしいです☆
投稿者海人    歳
2005/03/11 10:07

「言語能力の低下→学力低下」

ココには若干の疑問があります。

完全に「的はずれ」では無いけれど、私は「問題の本質は全く同じ場所にある」と思います。

ソレはやはり「責任」ですね。
責任を理解出来なければ言語もお粗末になるし学力も低下する。
「どちらかが引き金」ではなく、全く同じ地点から始まっている「行き着く先の当然の結果」かと。

>母国語がお粗末なのに、膨大な予算をかけて早期英語教育をして何の意味があるのでしょうか。

この部分に対しては、完全に反対の立場です。
前述した通り「問題の本質」は別の場所にありますから、問題に対する「対応策」を持ってる人にとっては「十分意味がある」モノです。

他の部分に対しては、「アナタの方法として」は絶賛したい。
少なくとも、アナタの「問題意識」は、「親として」必要不可欠です。

親自身が理解してないモノを我が子に教える。
親自身が使えない敬語を我が子に使えと言う。

非常にナンセンスですよ。

>人間が確立すべきレベルにまで心が発達していない子供が非常に多い、

ホント、その通り!
てか、それは「子供」に限った話じゃありません。
このサイトにも沢山いますよ。

勿論、私自身の言動に「人として」の問題が多々ある事は知ってます。
「わざと」やってんですから、当然です。
なのに、誰一人として私の「言動の問題」を正確に把握出来てない。

問題を正確に把握出来てないから、対処も不適切
ヒステリックに騒ぐか、排除を願うのみ。
まさに「学校と保護者」の関係ですよ。

「先生!何とかしてください!」→「管理人!何とかしてください!」

「排除」だの規則を盾に「力ずくで抑える」なんて方法が、「子供らに有効か?」も分からない。
目先の対処しか出来ず、「見えなければ安心」のバカ親そのモノ

だから子供らが成人して「親・学校」を離れると問題が噴出する。
近年見られる「成人式のバカ共」は、この現象の端点です。

では、「適切な対処とは?」
我が子を大切に想う親なら、子供の将来を憂いる人なら、真剣に考えて欲しいですね。

非常に嘆かわしい・・・
投稿者海人    歳
2005/03/11 13:08

これまた「現実」なんでしょうが、多数の「親」が閲覧してるにも関わらず、「意見」が出てきませんね・・・
要は「何も考えてない親が多い」事の現れです。

そしてかねてから思ってた事ですが、批判的な意見を「匿名」で書くことの卑怯さ。
「本名を名乗れ」とまでは言わないが、少なくとも「自分で正しい」と思えばコテハンを使えるでしょう。

私が見てて「正しい」と思う意見は、批判であろうとコテハンにて投稿されてるケースが多い。
いや、例え「間違って」いても、潔さを感じる事が出来ます。
ソレがバカだとしても、多少の敬意を払いたくなる。

その辺からも匿名での投稿には、「やましい事をしてる自覚がある」と感じてしまいます。

この構図は「集団によるイジメ」と近い部分がありますよ。
「集団化」する事によって「匿名性」を高めると、自分の本性をむき出しにして相手を攻撃出来る。
醜く惨めな行動ですね。

子供ならまだしも、こんな連中が親ですよ?
その子供らが、マトモに育つと思えます?

言葉の問題からは脱線してしまったが、「バカ親が多い」って事を自ら示してる事に気付きましょう。
「子供の言葉」「学校の態勢」を批判する前に、反省が必要な人が多すぎです。

なお、私に対する苦情は、我がサイトで随時受け付けてます。
「海人(zen)宛て苦情専用BBS」で検索してください。

まだ待って
投稿者**    歳 女性
2005/03/11 13:27

 こんにちは。海人さん、書き込みがないこと嘆いておられますが、皆さんそんなに暇ではないのでは?それぞれ考えがあっても書き込みをしないと言うだけで、『何も考えてない』はないんじゃないですか?

 そういう私も、今はじっくり書き込みをしている余裕はないです。また改めてあなたのホームページにでもお邪魔しようかな。

私も一言(主に海人さんへ)
投稿者野次馬A    歳
2005/03/11 15:21

>私自身の言動に「人として」の問題が多々ある事は知ってます。
>「わざと」やってんですから、当然です。

「わざと」やってるのでしたら、悪質だと思われますが、なぜ「わざと」なんでしょう?凡人には思いもよらない深い考えがあるんでしょうね。
とは言え、時々ヒトの心を逆撫でするような書き込み方。第三者として読んでいてもつらくなることもしばしばです。
でも、ある種の感情ヌキに読み返すと実に納得させられる事も多く、子どもに対しては愛情深い人なんだなと感じています。
でも、女って、感情の生き物だから、ちょっとでも嫌な事があるとすべて受け入れなくなるってことあるんですよね。
海人さんならわかってらっしゃると思いますが、わかってるはずなのに何故言い回しの改善がなされないのか、疑問です。
自己責任があればどんな言い回しも「自由」なのでしょうか?
読みたくなければ読むなっておっしゃってましたが、読んでみない事にはわかりませんので読みます。
で、言い回しに不快感をかんじる・・・っと。


まさか胡桃さんが非難されようとは思いませんでしたので、三輪車のスレでの「世も末かも・・・」には深く頷いてしまいました。

その直後の書き込み
>私は「TPOに合わせた使い分け」が出来てます。
>普段からこんな調子で生きてけるワケないでしょ(笑)
について、

「こそだて」での書き込みが「TPOに合わせた使い分け」とするならば、バカ親に対しての試練?でしょうか?「こんな言い方されたくらいでいちいち感情的になるなよ」とでも?
男性ならではの考え方なんでしょうね。
でもこのスタイルを貫くようだと、バカ親を意固地にさせてしまうだけだと思います。
バカ親を救ってこそ、子供達の為になるんじゃないでしょうか。
賢い海人さんならどうすればよいのおわかりになりますよね。

子育てにとって、実に有効な考え方を持ってらっしゃるのに。言葉使いが適切でないばかりにバカをバカのままにしてしまっている。
実にもったいないです。バカなんだから、どうすればいいか、やさしく教えてほしいと思います。自分で考えなさいと言われそうですが、できないのでしょう。あなたのように賢くないのですから。
時々ヒントは与えてくれていますよね。先生のように。それだけでもいいと思います。ただ、表現をもう少し考えていただければというお願いです。
あなたの文章には力強さがあるのだから、それを世の中の子供の為に活用してほしいものです。「バカ親撲滅」のためにも。

>批判的な意見を「匿名」で書くことの卑怯さ。

これは私もすごく感じています。
加えてこそだて郵便が使用できなかったり。(でも私もそうなので、強く批判できません)
そういえば海人さんも最近こそだて郵便、使えるようにはしてないんですね。
ご自分のサイトの紹介よりは有効だと思います。

英語教育
投稿者次男の嫁    歳
2005/03/11 15:44

母国語については、皆さんの仰る通りだと思います。特に読書の必要性を痛感しています。

少し話はそれますが、私からは英語教育についての考えを。
あまり良くない言葉ですが「英語を話す猿」というものがあります。英語は話せるが内容がない。どんな流暢な英語を話しても、その話す内容が乏しければ会話は成立しません。

確かに早期英語教育は、英語を母国語とする人のように話すことに関しては有効でしょう。しかし現時点では母国語教育さえ危うくなっています。まずは、母国語でしっかりと自らの意見を持ち、発言でき、相手の意図を汲み取ることが必要でしょう。それがなければ早期英語教育は「英語を話す猿」の育成に他なりません。

上手くは言えませんが。
投稿者みーちゃん    30歳 女性
2005/03/11 15:59

 みーしゃさんこんにちは。
私もみーしゃさんの言いたいことよくわかります。
 でも、自分の言葉で表現するのってとても難しいですね。
なので、みーしゃさんやMMマミーさんや海人さんの意見を
読ませてもらって「みんなすごいな〜」って思いながらも
自分の意見を書き込みしようとしたのですが、なかなかうまく
表現できなくて・・・
 自分の知識のなさというか、文書力のなさに恥ずかしくなります。

 普段もこんな感じなので自分の思っていることが上手く人に
伝えられず、勘違いされることもしばしば。
 特に、主人とはコミュニケーションが上手くできなくて、二人とも
口下手なものですから、お互い言いたい事を言えないで、たまに
話すと喧嘩腰な口調になってしまうのです。

 ちょっと話がずれてしまいましたが、話をすることはとても大切。
今の世の中がおかしくなったのはTVとかPCとかゲ−ムとか会話しなくても楽しめるものができてきたせいもあると思います。
 一家団欒の食事の時間にも家はTVをみんな見ながらの食事です。
子どもに話し掛けても返事がなかったり、とてもかなしくなります。
 私はTVを消したいけれど、周りの大人もTVがなくては間が持たない
感じで、もう子どもに限ったことではないですね。

 私たち大人がしっかりしなくてはいけないな、とつくづく思います。

 

心の発達について
投稿者てりこ    34歳 女性
2005/03/11 16:03

みーしゃさん、こんにちは。

わたしは、心の発達において、表現することも大切な要素なのではないかと思うのです。
もちろん、読解力も必要ですが、心を育てるのは、他者との直接的なコミュニケーションだと思っています。
読書だけを黙々としているだけに留まらず、つたなくても自分の思いを表現する機会があることの方が、わたしには重要な気がします。

相手の言葉を受け取る、というのは、読書のように言葉を目で読み取って意味を理解するだけでなく、口調や表情にこめられた感情も聞いたり見たりして読み取らねばなりません。
表現においても、たとえば自分と意見の違う人と話し合うには、いかに冷静に伝えたいことを述べるのかにも気を使わねばなりません。

本能のままに起こされた事件の背景には、犯人がコミュニケーションに不慣れということもあるのではないでしょうか。
感情の出し方をコントロールするすべを習得していれば、激情が一気に噴出して凶行に及ぶということを抑制できるのではないかと思うのです。

読書による言語能力の習得を否定しているのではありません。言葉や知識を蓄えるには適切な方法だと思います。
ただ、みーしゃさんが「読書」に限定して述べられていたので(文が長くならないようにとの配慮かもしれませんが)、心の発達には直接的なコミュニケーションも有効な手段ではないか、という異見でした。

二点ほど謝罪
投稿者海人    歳
2005/03/11 16:09

>皆さんそんなに暇ではないのでは?それぞれ考えがあっても書き込みをしないと言うだけで、『何も考えてない』はないんじゃないですか?

そうですね。
その可能性は十二分にあります。

私が「暇なダケ」でした。
ちょいと別スレの反応含め、多少の苛立ちが出てしまった。
「感情」と「意見」を分けられなくなった故に「目が曇った」のです。

「書けない」ではなく、意見を持ってても「書かない」人もいるでしょう。
自分の教育方針さえ確立してるのなら、他人に知らしめる「必要性」なんてないし。

>海人さんも最近こそだて郵便、使えるようにはしてないんですね。
>ご自分のサイトの紹介よりは有効だと思います。

おっと、失礼しました・・・
アドレスがクッキーに保存されないので、毎度書くのが「面倒」になってました。
可能な限り利用可能にしたいと思います。

以上二点に対し謝罪します。

言葉遣いも大事だけど
投稿者ガポ    31歳 女性
お子様: 2年ヶ月
2005/03/11 17:46

こんにちは。

>子育てに直接関係なくてすみません。

いえ、子育てに関してとても重要な内容だと思いますよ。

言葉はとても大事です。言葉遣いも大事です。
日本には敬語、丁寧語、謙譲語、、、色々な種類がありますしね。
私自身、子を持つ親でありながら、きちんとした日本語を話せていないと思います。
でも開き直る訳ではありませんが、私は言葉はコミュニケーションを取る手段に過ぎないと思っています。

一番大切なのは、人と人との関わりではないかと思うのです。
親、兄弟、親戚、友人、先生。沢山あります。
子供が自分の周りの人達と、どういうふうにコミュニケーションを取り、
どう関わって生きていくか。
それを教えるのが親の役目であり、大まかに言うと「しつけ」になると思います。
言葉遣いが多少乱れていても、ちゃんと「話し」の出来る人間に育てたいと思っています。

人間は、人との関わり無しに生きては行けません。
本能のままに犯罪を犯した人も、もっと上手に人と関わる事が出来ていたら、
自分の意見や気持ちを伝える事のできる相手が居たら、、、と思えてなりません。

今の子供達(大人にも言えるかもしれませんが)は、感情のコントロールが苦手な子が多いように思います。
親は、世の中は自分を中心に回っているのではない事、我慢しなければいけない事が沢山ある事、怒りや淋しさ、虚しさや憤り、
そういったマイナスとも言える感情を、生きていく上では沢山感じるのだという事を教えなければいけないのだと思います。
そして、そう感じた時はどうすれば良いのかも。
とても難しい事ですけどね。

ある育児書に「家庭は小さな社会」だと書いてありました。
子供は家庭の中で様々な感情や規則に直面し、やがて社会へ出て行くための練習をするのだそうです。
その為にはまず親がしっかりしなければいけないのだと、強く感じました。
もちろんそういった躾の根底には子供に対する「愛情」が不可欠です。
「愛情」と「過保護」の違いを認識しなくてはなりません。
子供を育てるのって、本当に難しいです。特に心の面で。
「子供をこんなふうに育てたい」という思いがあったら、
その為に親はどうするべきなのかを考えなければいけないのでしょう。
子供は親を良く見ていますから。
親も色んな意味で成長しなければいけないのですね。

でも決して「言葉遣い」を軽んじてるわけじゃありませんよ。
本を読む事の大切さも十分認識しております。
それよりも大切なものが・・・と思ったので意見を述べました。

長々とすみませんでした。

ここでもう一言
投稿者みーしゃ    30歳 女性
2005/03/11 18:38

皆さん有難うございます。
長い間心に抱えてきた(これからも抱える)問題だっただけに、意見していただいて嬉しかったです。

MMマミーさんの、言語そのものではなく社会現象に問題があるとのご指摘、納得。その結果、言語の問題が置き去りにされてしまったのですね。

海人さんの考える「責任」とは何か、良かったら教えていただけますか。というのも、「責任」とは行為の結果を自分で背負うことだと私は考えているのです。そこに至るには言語能力に基づいた思考が不可欠だと思うのですが。ニワトリ・卵的なこと言っていたらすみません。ちなみに海人さんの言葉遣いについて。口は悪いですが、人格を全面的に否定しているようにはみえません。ただ、人によってはテロリズム的に響くかもしれませんね(笑←失礼ですか?)。

ガボさんも触れていらっしゃいましたが、てりこさんには大事な所を補足して頂きました。私にとっては「異見」ではないです。読書は、有効な手段として挙げたかっただけで、基本的には言語能力は他者とのコミュニケーションなど、人間が生きる術の全てに関わっています。もちろん、人格形成にも。読解力と表現力の鍛え方はそれぞれ違いますが。ただ、読書は一人で行うものですが、作者が一対一で自分に語りかけてくれますので、独りよがりなものではないと思います。

英語教育について。話題を混乱させたくないのであまり触れませんでしたが、複数の方が指摘されたので改めてここに書きます。英語教育は無駄だとは決して思いません。日本の英語教育に問題があるのです。移民の多いアメリカ、植民地の歴史を持つイギリスなど、英語教育は国の事情によって確立されて当然です。日本語は、英語とは違う語族に属していて、構造的に全然違う言語なので、欧米の学者が立てた方法論ではうまくいくはずがないのです。幼児教育の場合のみ、多少の例外はありますが。だいいち、日本語のシャワーを浴びて育った人が全員、立派な日本語力を身につけているでしょうか?一つの言語でさえまともに使えないのに、他言語で「内容のある」話をするなんて不可能ですよね。

長くなってすみません。言葉に関して、意識を持つことの大切さを誰かと共有したくて書きました。誤解されると悲しいですが、子供に心豊かな人間になって欲しいと願うからこそ、こう思っているのです。

なお、〆たわけではありませんので、この後書いてくださっても(書かなくても)構いません。

女は感情の生き物!?
投稿者みーしゃ    30歳 女性
2005/03/11 20:06

野次馬Aさんの書き込み、主に海人さんに宛てていたので見落としていたのですが「女は感情の生き物」とはあんまりではありませんか。
野次馬Aさんは男性なのか女性なのか分かりませんが、女のお子様がいるとすれば、「感情の生き物」に育ってほしいと思いますか?

これは有名な言葉です。

女は女に生まれるのではない、女にならされるのだ。

ただ、この言葉自体、解釈によってはもう古いとされ、新しい学説も出ていますが、話がそれるのでおいときます。男と女がいるから、男湯と女湯ができたのか、あるいはその逆なのか。簡単に言うとそこが問題になっています。

スレ主が脱線して申し訳ありません。どうしても気になる発言でしたのでつい・・・。火に油を注ぐつもりはありません。

人を苛立たせて平気なオマエが…
投稿者ネットゴロ嫌い    歳
2005/03/11 23:36

>ちょいと別スレの反応含め、多少の苛立ちが出てしまった。
>「感情」と「意見」を分けられなくなった故に「目が曇った」のです。

 こんなくだらない言い訳すんなよ>海人。

 回りくどくもっともらしそうな素振りなんか見せずに、野次馬Aさんのコメントにあるように、さっさとオマエの「わざと」人を苛立たせるようなコメントの必然性とやらを説明しろよ。

 …と言いつつ、別にしなくても構わんぞ。できないことをしろと言うつもりはないからな。人を見下してストレス解消しているだけなのに陰に深い深謀遠慮がある素振りを見せているだけなら、上っ面だけだからまともな説明なんぞできる筈もないだろうからな。オマエみたいのに騙される人もいるだろうがそうでない人も多いだろう。ここの多数のギャラリー相手に納得させてみな。できるものならな(爆笑)。

横にそれてしまいますが・・・
投稿者りんりんりん    29歳 女性
お子様: 1年8ヶ月
2005/03/12 00:38

ネットゴロ嫌いさん、海人さんの言い方を批判するより、海人さんが書かれていることについて、真っ向から中身勝負をしたらどうでしょう?私から見ると、学校に対してヒステリックに騒ぐ保護者にしか見えませんが・・・。

スレ主さんごめんなさい。
言葉に関しては、私もバカ親の1人なので、なんとも意見できません。みなさんのレスを読みながら、考え中です。

ちょいと横含む
投稿者海人    歳
2005/03/12 00:58

なにやら若干一名、ヒステリックなバカが騒いでるが放置しましょう。
私のサイトに来られるなら、相手してあげますけど♪

さて、本題☆

>「責任」とは行為の結果を自分で背負うことだと私は考えているのです。

その通りですよ。
「言葉を発する」も一つの「行為」ですから、その結果を「どう処理するか?」ですね。

>そこに至るには言語能力に基づいた思考が不可欠だと思うのですが。

ちょいと深く考え過ぎかと思います。
上に書いた通り、実に単純な事ですよ。

「行為」が様々で受けても様々だから、結果も様々で「処理」も様々
一律では語れませんが、何となく私の主張が見えたでしょうか?

ついでに、私宛じゃないがこちらにも反応

>「女は感情の生き物」とはあんまりではありませんか。

この反応自体がすでに「感情の生き物の証明」ですよ。
女性は多くの場合「女って〜」てな批判に対し、過剰に反応します。
逆に男は「男ってバカね〜」などと言われても、あまり意に介しない。

それは「自分(個)」と「男(多数)」を分けて考えているからです。
勿論、その中でも「自分に該当する項目」はそれなりに処理してるでしょうが。

自分に該当しない「多数」に対する意見を聞き流せるのです。
自分と無関係なトコロに対する批判に、腹を立たせる意味なんてありませんからね。

「男尊女卑の歴史」から言っても、やや過剰反応を示してしまう点は理解出来ます。
しかしその過剰反応が、女性の社会的立場を低下させてしまってる要因でもあるのです。

「女性は〜」と言われても、自分に該当する項目は真摯に受け止め、該当しない部分に対しては毅然とした態度で流しましょう。

そして「女性の良さ」が「感情の生き物」の中に含まれてる事を理解出来ると、「女性の武器」として男社会でも生き抜いて行けます。
残念ながら現在は「男社会の構図」が根強いのだから、「男の武器」を女性が持ったトコロで本家に勝のは難しい。
「相手(男)」の土俵で勝負するのではなく、「自分(女)」の土俵に相手を引き寄せられれば、女性はまだまだ活躍出来ますよ。

「女性の敵は女性」
私にはこう見えますね。

またも、脱線してしまいました。

単に放置しちゃ勿体ないかな?
投稿者海人    歳
2005/03/12 01:16

ネットゴロとやらを通して、多くの人にメッセージを。

この人の反応、率直にどう見えるでしょう?
私にはりんりんさんが書いた通り、ヒステリックに騒ぐ保護者に見えます。

ココで一つ疑問がわくのですが、もしも彼女(彼?)の子供が、あるいは子供の友達が私のよ〜な態度をとった時にどうするのか?
きっと彼女はココで見られるのと、同じ対応なのでしょうね。

「そんな事をしてストレス発散してるのか?」
「お前は最低なヤツだな」と。
心底呆れてしまいますね。

私の言葉については、一つだけ問題があるのです。
責任を果たしていない、人としての重要な問題が。
この指摘をした人は、かつて一人だけでしたね。
その人は皆さんと同じ、主婦にして母親ですよ。

再び脱線
投稿者みーしゃ    30歳 女性
2005/03/12 02:08

「感情の生き物」に関しては多少の誤解を招きました。
まず、私は女性でありながら男性との二項対立的なフェミニズムには賛同しません。でも感情の生き物であることは否定しません。感情は持っています。私は一個人としての役割や仕事を大切にしているだけ。それを女だから、女らしからぬなどと言われても何とも思いません。

あの発言は言葉そのものよりもむしろ、言葉に対する無責任さが見過ごせませんでした。まあ聞き流す心の余裕が私になかったのも事実でしょう。
大事なのは、「男」「女」というものは文化によって「作り上げられた」ものであるということです。極端に言えば、「男」と「女」は存在せず、生産されたのです。
私が対峙する相手がいるとすれば、男性でも女性でもなく、社会的文化的イデオロギーです。

そろそろ本題に戻りましょう。
海人さんのおっしゃる「責任」の意味は理解できたと思います。
確かに深く考えすぎかもしれません。自分のこぼした水を自分で拭くことに、わざわざ思考能力を持ち出す必要はないですものね。ただ、責任の重大さによっては深く考えることも必要だといまだに思います。

どうでもいいことかもしれませんが、言葉をめぐって喧嘩する人たちがあれだけいるにも関わらず、あまりここで発言してもらえなくて残念です。本質的な問題を是非語り合いたかったのですが。

補足です。
投稿者MMマミー    歳 女性
2005/03/12 04:31

読書と英語教育についての補足です。

読書について。
子供が低学年の場合、まだ自分で読書する癖がついてませんので、親からの影響は大きいと思います。私は、読書がよいことと思い、子供に与えてきました。選ぶ本は、文系では、メッセージ系絵本を始め、道徳、伝記、日米文化に関する物語など、理系では、天体、宇宙、人体、動物図鑑などです。最近、戦争の悲惨さも本や映画を通じて教えはじめました。

読書好きだったら、子供の思考の世界が広がります。伝記ものは人生の挫折を経験した主人公の成功物語が多いので、困難を乗り越える知恵もつくと思います。

英語教育について。
二年ほど日本に住んでいた、私の白人の友達が、「日本の若者は金太郎飴だ」と言いました。「みんな同じ表情、スタイル、言葉使いをしている。個性がないね。」と。「だから、彼らの英語会話も彼ら自身の言葉がない。一生懸命英語で話そうとしている努力はしているが、思っていることが伝わってこない。」

確かに、現在の日本の学校の英語教育には問題があります。私もあまり早すぎてもどうかと思います。うちの長男のように日米語のはざまで混乱するかもしれません。

自分で考えて、それをどのように言葉で表すかということは、ある程度の訓練も必要だと思います。学校の先生方に教科書指導要領通りに教えていただくだけでは、豊かな日本語が身につくとは思えません。やはり、親が手本となって導くことが必要と考えます。

日本にはありませんが、アメリカでは、読み書きのほかに、スピーチのクラスがあります。クラスのみんなの前に立って、自分の趣味のものや作品を持ってきて説明したり、意見を述べたりします。ここが日本の英語教育に足りない部分のひとつとも思います。

皆さんのお話、大変参考になりました。ありがとうございました。

英語教育に関連して・・・
投稿者Keiko    41歳 女性
2005/03/12 11:05

30代の頃東京に在住していたときに、ある英会話教室に通った(結果的には通いきれなかったのですが・・・)ことがあります。そこは、自分でカリキュラムを自由に選んで、またカリキュラム外でもフロアーには多くの先生(色々な国籍の)がいらっしゃって自由に会話してください。といったかなり良いシステムの教室だったと思います。
各クラスではテーマが決まっていて、4,5人の生徒といった少人数制です。
初級では、まず自己紹介で、名前、職業を英語で話します。そして隣の人と自由に会話してくださいと言われるのですが、そこで感じた大きな壁は、英語がわからない!ではなく、何を話して良いかがわからないのです。愕然としました。
当時は私自身のキャラクターだとしか思っていなかったのですが、もしかしたら相手の職業、趣味に始まり相手の事をあれこれ尋ねるのは日本の文化ではないことなのかな?とも。つまり会話力が育っていないということかと。
みーしゃさんの発言によってまた考えさせられました。

私としては最後・・・かな?
投稿者海人    歳
2005/03/12 22:49

幾つかの意見が出され、とても有意義だったと思います。

よく読むと、共通する項目と流れが現れてますね。

コミュニケーションとしての手法である事
「思いやり」などの「気遣い」である事

これに私からは、「立場」と言う言葉を付け加えたいです。

「立場って何?」って事を深く考えて行くと、ソコには「責任」と言う言葉が深く関与してる事に気付くでしょう。
「立場をわきまえる」とは、自分と相手の「責任の範囲」を越えない事です。

やや曖昧な状態で終わらせますが、まだ私の主張が見えてない方はもっと考えてみてください。

−PS−

>あの発言は言葉そのものよりもむしろ、言葉に対する無責任さが見過ごせませんでした。

無責任て事はないでしょう。
単に「一般的傾向」を述べて、そこから予想可能な「影響」と「結果」を書いたダケですよ。
「女性は感情的になりやすい」(傾向)→「感情を逆撫ですると聞き入れられない」(影響)→「アナタがしてる事が無意味となる」(結果)

イデオロギーとかの問題じゃないし、アナタが対峙すべき内容でもありません。

シンプルに
投稿者ゆんゆん    歳 女性
2005/03/14 00:54

自分の気持ちを上手に表現できるように。
相手の気持ちを思い遣った言葉を使えるように。

悪い言葉を使いたくなった時「それを言われた人は、どう思うか。自分が言われたら、どう感じるか。」と、考えることが出来るように。

よく聞くこと。よく話すこと。よく考えること。

「言葉」についての私の考え方です。
子供がもっと大きくなったら、もう少し複雑な問題も出てくるかもしれませんが、今のところは、兄弟全員一緒に説明できるようにシンプルに…と心がけています。

こんにちは?こんにちわ?
投稿者かち    35歳 女性
2005/03/14 05:24

みーしゃさん、こんばんは。
週末忙しく、ようやくパソコンを見られて、ここに来たら、長いツリーがあって、びっくりしています。

こんにちわ?から始まったお話でしたっけ。
みーしゃさんはこんにちはと書かれてないとどう感じるタイプですか?
私は文章に間違いがあろうと、友人関係や掲示板で訂正するのはどうかと思うタイプです(これは当たり前のコミュニケーションの仕方だと思うのですが)。

さて、私は言語はアイデンティティの確立のために大切だと感じています。
哲学者のヴィトゲンシュタインは言語と世界は裏表のように切り離すことはできず、言語によって表現されているものこそが世界であると言っているくらいです。
一個人としてだけでなく、日本語を母語として使うものとして(またはあえて、日本人として)、日本語はとても大切です。
また、手段としての外国語の習得だけでなく、日本語を深く理解するためにも外国語(中国語など他の言語も含めて)の理解はとても楽しいものですし
私の家では、英語にとどめて外国語教育を考えていません。
日本人は昔から他の国の言語を導入することに柔軟であったはずです。
飛鳥時代には一体どれだけの大陸(中国、朝鮮)の人が日本に移住し、その文化を伝え、
日本語に影響を与えてきたでしょうか。
それを体感して欲しいので、中国語とハングルも聞かせています。
早期教育に反対という意見については、じゃあ、いつから?と個人的には思っています。

誤解しないで欲しいのは、母語を他の言語と同じように考えているわけではありません。
母語は何よりも大切です。
みーしゃさんのおっしゃるように日本語は文章の並び方も特殊で(ハングルとは同じ)日本語は難しい。
話す・聞く・書く・読むのどれがかけても言語習得はだめだと言いますが、
私はそれに加えて文化理解と、母語に基づいたアイデンティテイの確立が必要不可欠だと思っています。
そして、ゆんゆんさんがおっしゃっているように、相手の気持ちを思い遣った言葉を使えるように。悪い言葉を使いたくなった時「それを言われた人は、どう思うか。自分が言われたら、どう感じるか。」と、考えることが出来るように。
TPOに応じた話ができること。
理想ですが、理想にすることは大切なことです。
その理想を現実にするために、いったいどれほどの努力が必要でしょうか・・・。

私が問題だと思っているのは、母語を排除(極端に少なく)してまで英語に力を入れていること。
最近、日本語を母語としながら、親の国際人になって欲しいという気持ちから、
幼稚園のころはプリスクールに、小学校はインターナショナルスクールやイマージョン教育を行う小中高一貫の学校に入れる親が多いとか。国語以外をすべて英語で行い、信長をNobunagaと教えられ、飛鳥時代をAsuka period と教えられる子供が、母語を日本語としながら、学力も英語も日本語も中途半端で日本人としてのアイデンティテイも失ってしまう・・・のではないかと危惧しています。

それと読書をしない子供が多いこと・・・というより、楽しめない子供が多いこと。
本を読むことで、話し言葉と書き言葉の違いも知ることができ、日常で使わないような語彙も増え、自分が経験したことのない世界も知ることができます。
しかし、昔(大昔?)より読む機会自体はあるわけで、本もたくさん出版されています。私は読まないのでなく、むしろ読書に楽しみを見いだせないところに問題があると感じています。最近は読書以外にもゲームなどの「おもしろい」ものが他にたくさんありますから。そういう人が親になり、どう読んであげたらいいか分からない・・・。
最近内容がいくらおもしろくても、読書自体に興味がなく、本を読まない・読めない子供向けに、ゲームの要素を採り入れた読書塾ができているそうですね。グリムスクールでしたっけ。
そして単に読むことだけで、理解力・文章力までつくかというと、これには相当の訓練が必要です。

他にも、MMマミーさんのおっしゃっているように、外でどろんこになりながら、自然とたわむれる中で友人と遊び、けんかし、仲直りする・・・そんなことが、どれだけコミュニケーション能力を高めるために大切か・・・。

親の私たちが、言葉を正しく使うという姿勢はとても大切です。
「こんにちわ」や「見れない」などの言葉は私も気になりますし、
私たちの世代は使わない人が多いと思います。
私は言葉を正しく使うことは必要だと思いますし、
親である私たちがまず手本となるべきであると思います。

ただ、ここはこそだてに関する悩みを解決して欲しくて書き込むところ。
人が悩んでいる内容に対して、掲示板の中で悩み相談より何よりも言葉使いをどうにかしろ、という態度もコミュニケーションの仕方としてどうかと思います。
こんなレスをすれば、悩みの解決の前に、無意味なレスが付くのは明らかです。
悩みにも答えず、言葉使いが適切かということは、蛇足ですが、老婆心からですが、と断ってから最後に入れるくらいの配慮もできない人に、言葉使いがどうのとか言って欲しくないと、傍目からですが思っていました。

長くなってすみません。
そして、他のみなさんと重複している部分も多々あると思いますが、
許してください。

想像力と探究心
投稿者むーむー    32歳 女性
2005/03/14 07:15

このスレッドは、本当に面白いですね。
私も書いてみます。

言葉遣いそのものは、私はたいして重要視していません。
敬語や正しい日本語を知らないことや使えないことで恥をかくのは本人です。
そんなことは自分で身につけていけばいいのでしょう。

私が重要視するとすれば、言葉使いそのものではなく、人との接し方、態度や姿勢ですね。
人に興味を持つことや、気持ちよく挨拶することや、人の話を聞くときは相手の目を見るとか。
そういうものは、人間関係の基本だと思います。
逆にいえば、そういうことができない人は、いくらキレイな言葉を使っていても、私はなんの魅力も感じません。
人との接し方に、その人の「ひととなり」が表れていると思います。

以上が言葉遣いに関して思うことでした。

それから、私が日頃感じていることは、
想像力と探究心が貧困な子供(人)が多くなっているんじゃないかな〜ということです。

例えば、「ムカツク」って言葉ありますね。
別に言葉自体はどうでもいいんですが、不快な事柄に対して「ムカついた」としましょう。
で、その時、「なんで私はムカついたのか?」を考えない子供(人)って結構いるんじゃないかと思うんです。
「ムカついた」で終わり。
「あの人の△△な態度から〜〜という意図が感じられて、それが私にとっては××を意味していて、私の潜在意識の○○な部分が刺激されて、結果ムカついた」とかってイチイチ考えない。
そして、「ムカツクことをされた」→「アイツが悪い」でおしまい。
「なんであの人はあんなことを言うのかな(するのかな)」とは考えない。
「ひょっとして私の行動が○○に感じたのかな」とかね。
「ムカツク」ひとつでも、相手のことや自分のことや周りのこと、いろいろ考えることありますよね。
そういうことが、今の子供は(大人も)訓練が足りないんじゃないかと思ったりします。
(「訓練」というほどのことでもないですね、本来は自然にやってることですから^^;)

なんというか、そういう、日常の中で、人の気持ちをいろんな角度から想像することや、
自分の意識と向き合って、自分の内面を深く見つめることが不足しているんじゃないかと思うわけです。
想像力と探究心です。
(想像力と探究心という言葉がピンとこない方は、好奇心とか配慮という意味と受けとってみてください^^)

言葉遣いや意見の出し方(聞き方)にも同じことがいえると思います。
なぜ、この人はこういう言い方をするのか、どういう考え(気持ち)を持っているのか、
また、自分の発言(行動)は客観的にどう捉えられるのかなど。

そういうことをイチイチやっていくことで、相手を思いやることができたり、自分自身を知ることにつながっていくんだと思うんです。
そうやって、感情をコントロールしたり、表現を工夫したりして、関係を作っていくんだと思うんです。
人間関係には、この想像力と探究心が必要不可欠と私は思います。

また、それ以前に、生活の中での「実体験」が少ないのも大きな問題だと思います。
(MMマミーさんの最初のレスに賛成です)
私のいう「実体験」とは、自然の中での遊びや、体を使った遊びや、子供同士のケンカなどなどです。
そういったものが不足していれば、人間関係能力が未熟になるのは、ほぼ間違いないと思います。

(長文失礼しました^^;)

言葉について思うこと
投稿者さあや    歳 女性
2005/03/14 09:26

本当に面白いし、いろんな方向に発展する問題ですね。

私は本が大好きですが、小学生の息子や娘は
私の子供時代の半分も読んでません。
ビデオやゲームに親しんでる子供たちに本の面白さを伝えるのに苦戦しています。
MOMOや果てしない物語や指輪物語の面白さはきっと楽しんでくれるだろうと自信がありますが、映画を見れば数時間で終わるものを、何日もかけて読み進めるということが、子供たちにはピンとこないようです。
流行のスローライフみたいですね。
もっと読み聞かせをしてやればよかったと思い、今からでもやってみるつもりでいます。

以前、息子が映画で見た「お前の汚いケツを持ってさっさと出て行け!」という言葉を気に入って大喜びしていました。
そんな汚い言葉・・と母親として憤慨するところですが、なぜか私は一緒に楽しくなってしまいました。
考えてみますと、汚い言葉を知っていることと、汚い言葉だけしか知らないのは違います。
ある場面で使う言葉の選択肢が増えることは喜ばしいことだと思うのです。
ただし、汚い方面ばかりに品揃えたっぷりではだめだし、使うべきタイミングや状況がぴったりしている言葉を選ぶセンスがなければいけませんが。

言葉に対する私の考えかたを一番象徴しているのは、数年前友人にびっくりされた
「将来子供が言葉を信じすぎないように、私はなるべく子供に本当のことを言わないようにしているの」
という一言のような気がします。
(そのまま書くとこうなりますが、もちろん本当のことを教えるのが基本ではあります。場合によっては、ということです)

「これは何?」と聞かれてもいつもすぐに正解を教えない。
知っていても知らないといい、たまには間違った答えもする。
そこで気付いて自分で考えて欲しいから。
もっと言えば、人が何かを言ったとき、その言葉だけを聞かないで欲しい。
いつも言葉で安易に正解がもらえると思う子(大人)に育って欲しくない。
言葉と言葉だけでつないでいくと置きざりにされてしまうたくさんの思いや事象の存在に敏感な人であって欲しい。

嘘を嫌う風潮があり、それはまったく正しいことでもありますが、
逆にいうと、一部の人は嘘を見抜く能力が低すぎるのではないかと思ったりもします。
言葉の影にある相手の感情、目線や口調やいろんなサイン、
嘘をつかねばならなかった心境などを見る力のある人に育って欲しいと、今あらためて思いました。
(更に言うと、優しさと思慮深さを持った目で見て欲しいですね)

古典に親しむ
投稿者かち    35歳 女性
2005/03/14 10:21

みなさんのお話、どれも興味深いですね。
もう少し、付け加えさせてください。

私は日本における英語教育のあり方よりも
日本における古典文学に対する教育のあり方に疑問を持っています。
日本での本格的な古典教育は中学の3年生からです。
そこではじめて枕草子を知る子供たちが多いのです。
一方でNHKの「にほんごであそぼ」はとてもおもしろいと思います。
その中では現代文学も古典も(どちらかといえば伝統文化や古典のほうが比重が置かれて)扱われています。

古典は日本文化の基本です。
現代の言葉と一緒に学んで欲しいものです。
しかし現実には英語よりも遅く習うことにとても疑問を感じていました。

5・7・5の文調が美しいと感じるのは、小さい頃から慣れ親しんでいればこそです。
中学3年生で初めて目にしても、英語よりも遠い言葉にしか思えません。
私の友人の多くは受験のためだけに外国語と思って勉強していました。

子供にとって「お腹空いたね、ちょっと待ってね」と言われるより
「もちょっとおまちゃれ」と言われた方が、しゃれっけのある待たせ方になるような気がします。
案外、子供は古典にすんなり入ってきます。

古典に親しんでこそ、美しい日本語とはどういうものかを判断することができる。日本の歴史をさらに広がりを持って感じることができる。
新しく変化していく言葉もおもしろいですが、おもしろい、だけでは
文化とはいえません。温故知新です。

我が家では古典も普通に読みます。
写真や絵の付いた古典の本から、短いフレーズを選んで今日の名文を選び、しばらくおもしろおかしく言い合います。
ちなみに我が家の今日の名文は平家物語・扇の的より「よつぴいてひょうど放つ」です。
最近までは宮沢賢治にはまっていました
(あ、宮沢賢治は古典ではないですけれどね。)

そうそう、にほんごであそぼの方言版もおもしろいですね。

敬語
投稿者輝楽    歳
2005/03/14 11:32

こんにちは。

いつもながら、皆さんの、育児や社会に対する真摯なまなざしには脱帽です。稚拙ながら、私も考えを述べさせて下さい。

言葉遣いや敬語にとらわれるよりも、表現する事が重要、という意見が出ていますね。私もその通りと思います。
でも、私は、形式、というものもやはり重要なものだと思います。
相手と自分の関係を考え、相手の立場を尊重して話をする、という、コミュニケーションの基本に、やはり敬語の習得は不可欠だと思うのです。
文法的な事を言っているのではありません。
自分に対して尊敬語を使っているような妙な敬語の使い方は嘆かわしくは思いますが、知識としての敬語の使い方は、いくつになっても学ぶ事はできます。
けれど、例えば、自分がものを教わる先生に対して、尊敬の念をもち、きちんと敬語を使おうという姿勢は、小学校低学年のうちに身につけていかなければいけないと思います(勿論、現実には、尊敬の念に値しない教師も多くいる事とは思いますが)。

我が家の子供はまだ2歳と0歳なので、敬語も何もありませんし、小学生とお話をする機会も殆どないのですが、いまの小中学生の言葉遣いはどうなのでしょうか?
自分自身が中学生だった頃(20年も前…)、既に敬語が乱れていると感じていました。
周りの友人が若い先生とため口で会話をしているのに、どうしても抵抗があって、話の輪に入っていけず、敬語で自然に話せる年配の先生との会話の方が好きだった事を思い出しました(単に融通がきかなかっただけかもしれませんが)。

しかしながら、最近の自分自身を顧みると、昔は文学少女で毎日欠かさず文庫本を持ち歩いていたのに、今は育児、家事、仕事に追われ、まともに読書する時間がありません。そのせいか、随分と語彙が貧弱になった気がします。
書き込みをしながら、言いたい事がなかなか言葉になって出てこない時があります。
十代の頃までに、たくさんの素晴らしい本に出会い、語彙のみでなく、様々な考え方、感じ方を学ぶ事ができました。
勿論、他の方々が書かれているように、読書はひとつの手段でしかありませんが、人とのコミュニケーションの上でも、相手の気持ち、立場を思いやる想像力を養う事に欠かせない手段だと思います。

スレ主より
投稿者みーしゃ    30歳 女性
2005/03/14 16:01

皆さんのコメントを読ませていただきました。

どの方も、それぞれのアプローチで言葉の問題を考えていますが、根底に流れている考えはとてもよく似ていると思います。

かちさんの質問に対して。「こんにちわ」くらいでは最近は驚かなくなりました。20歳前後の人たちが「そうゆうこと」とか「〜だろうなーと思った」などという文章を書くのをよく目にしていますので。彼(女)らは、もちろん真面目に書いています。
早期教育とは少し違うのでは?という気もします。言葉は英才教育ではなく、人としての教育だと思っています。

多かった指摘の中で読解と表現の違いについて。いわゆるインプットとアウトプットは、切り離して考えられないと思います。どちらをおろそかにしてもうまくいきませんので。言語習得の4技能のなかで聞く・話すは一番先に発達します。ですが、読む・書くことは訓練なしにはなかなか伸びません。訓練の仕方もそれぞれ違います。皆さんはすでにご自分の方法論をお持ちだと察します。

「日本語であそぼ」はやはり話題に出ましたね。監修者の齋藤孝氏の考え方は私もほぼ全面的に賛同しています。

言葉とは直接関係ないかもしれませんが、自然の中で遊ぶことの大切さを何人かがおっしゃっていて、皆基本的な考え方は同じなのだと嬉しくなりました。世の中のあらゆる美しいものや不思議なもの、自然はその中でも大きな存在ですが、それらを感じ取る心が、言葉やコミュニケーションの世界を楽しめることと無関係ではないと改めて確認しました。

飛躍するかもしれませんが、子供が幸せに暮らせる国や世界にするために私たちの抱える課題は数多くあります。その中でも大事なものに知的財産があると思います。決して教育的なものに偏っているわけではなく、「世の中の価値観」を作るために必要な想像力のことを言っているつもりです。そういう意味でも、言葉をおろそかにするべきではないと考えています。

言葉って、本当に様々な方向に発展する問題ですね。言っていることがだんだん支離滅裂になってきました。
最後に、普段の子供との過ごし方を書いていなかったのでここに。仕事のない日は朝子供と一緒にお弁当を作って、昼間は外遊びをし、お弁当を食べます。夕方一緒にご飯をつくって、夜は本を一緒に読み早めに寝ます。天気の悪い日は一緒にピアノを弾いたり本を読んだり。
恥ずかしいくらい実はとても平凡です。皆さんもお子さんと過ごす日常そのものが忙しいのではと想像します。そういったふれあいの中で自然と親の価値観が伝わればと願いつつ毎日を送っています。

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