2002/11/7
もの思う秋
車で2時間ほどのところに、日本を中心とするアジアの食料雑貨品を売る大きなスーパーがあります。ここへ行けばほとんどの食材、大根やれんこん、山芋といった日本特有の野菜、それにお刺身もあり品揃えが充実しています。店に足を踏み入れた途端、ここは日本かと錯覚するほどです。以前はカタログで注文して送ってもらったこともありますが、やはり自分の目で見て選んで買えるのは便利ですし、店に行くことで「日本」を味わえて楽しいものです。お値段は、こちらの物価から見ると高め。それでも貴重な食材を手に入れることができるとあれば、財布のひもも少し緩くなります。
30年間アメリカに住む日本人女性と知り合いました。
彼女はアメリカ人の教師と結婚、当初は都市部まで2時間かかる小さな町に住んだそうです。日本人はゼロ。日本の家族への国際電話も1分間20ドルかかることを思うとままならず、ホームシックでとても辛い日々を過ごしたそうです。アメリカで日本食材を手に入れるなんて、とんでもない時代。それに国際化というより、差別意識とどう向き合うかが大変な時でした。今は電話代も大幅に安くなって気軽にかけれるし、何よりインターネットの普及でeメールは自由自在、様々なサイトのニュースで日本の様子を随時知ることができます。有難く、恵まれた時代だとつくづく思います。
その女性は、3人のおこさんがある程度育った時に、不動産売買の資格を取得し、活躍したあとそれも引退。現在は退職されたご主人と悠々自適の毎日で、昔の苦労を微塵も感じさせません。
わたしにとっては、アメリカ人と結婚しアメリカに住むことを覚悟したにせよ、それが日本に係る全てをあきらめたということにはなりません。老いてきた親には、なかなか会えずに親不孝していると思うし、思うにまかせないことも多く、「ああ、これが日本だったら……」と郷愁はなおさらです。どんどん便利になって、日本との距離を感じることが少なくなってきたにせよ、です。
秋の夜長にふるさとのことを考えることが多くなりました。
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