子どもに何をしてあげたらいいのか?
親になったら、子どもをしつけなくては、何かを教え込まないといけない……と思いがち。そもそも親になると言うことはどういうことなのでしょうか。大日向雅美先生にお話を伺いました。
生物学的に考えれば、お母さんは妊娠して出産すると母親になります。昔は、トツキトオカ(十月十日)おなかで育てて産めば、その瞬間から、母親になれるというのが定説でした。一方、お父さんは、自分が産む訳ではないので、父親としての実感が湧くのは子どもが生まれた後、ずいぶん経ってから。母親が実感するのとは、必然的に時期がずれると言われてきました。
でも、「親になる」ということは、必ずしも生物学的な出産を前提とするとは限りません。特にメンタル的に「親になる」ためには、母親でも父親でも、自分の人生に新たに仕切り直しをして、親としての心構えを持つことなのだと思います。
親になると言うことを特別なこと、大上段に構えることはありません。親は、とかく自分を棚上げして、子どもの才能を伸ばそう、早期教育に励まなくてはなどと思い込みがちです。でも、子どもには子どもの個性と育ち方があります。親の期待通りになるものではけっしてありません。親は自分自身のことを棚に上げて、自分ができなかったことを期待して、無理矢理思い通りに育てようとするのは、子どもにとって迷惑な話でしょう。
せっかく習い事をしても、うまくできないわが子……。親自身を振り返れば、実は私も苦手だった……なんていうことも、少なくないはず。親になるプロセスは、親自身を見つめ直すことなのかもしれません。
子育てに明け暮れて、疲れがたまったり、思い通りにならないことにいら立って、ついカッ~と怒ってしまったり。その後で「私はこんな風に感情を爆発させるとは、思ってもみませんでした」という人が少なくありません。今の時代は、便利で、物も豊富な時代です。追いつめられて、取っ組み合いのケンカをしたり、限界までジタバタしたり、泣き叫ばないと振り向いてもらえないという経験は少ないのではないでしょうか。
子どもが生まれた喜びもつかのま、連日夜泣きをされて眠れない、一生懸命離乳食を作ったのに一瞬にしてひっくり返される……。
今まで、精神的に追いつめられたり、理不尽な思いをあまり経験したことがないので、子どもと向き合ったときに、「私ってこんな声を出す人間だったのか」「私も叫んだり、怒鳴ることがあるんだ」と思い知らされる。怒鳴った後には、モヤモヤしたり、自分のいたらなさに落ち込んでしまう……。でもそんなときは、自分自身を知るいいチャンスと捉えましょう。
子どもと接する日々は、自己発見していく道のりなのです。子どもを見て、自分の至らなさに幻滅したり、私より子どもの方がよく頑張っていると思ったり。そんな風に自分を見つめられるようになると、「立派な親でなければならない」と肩に力を入れなくて済みます。
親は立派でなくていい。ただし、子どもは「愛されるために産まれてきた」ことは、しっかり胸に刻んでください。「産まれてきて良かった」「人生は楽しいんだ」と子どもが思えるようにすることが、親の義務だと私は思います。
ただし、愛の形はさまざまでしょう。親自身欠点や至らないところもあります。ですから、子どもに愛を伝えるためにどうしたらいいのかを、真剣に考えたいと思います。もしかしたら、子どもとの相性が合わないと言うこともあるかもしれません。仮に自分が十分愛せないときは、そのまま放置しないで、夫やおじいちゃん、おばあちゃんに、愛の部分をカバーしてもらう心配りが大切です。子どもはいろいろな人の愛に見守られて育つことも必要なのですから。
「愛して」と言うと、「甘やかしになりませんか?」と心配する方がいますが、愛することは甘やかすこととは違います。愛が、親の自分本位の「愛」でないかにも、気をつけてください。「親の思い通りにならなくても、それでもこの子を認め、心の奥深くで受け入れる」ことが、愛することです。
子育ての最終目標は自立(自律)できる人に育てることです。それは、たった1人で生きていくことではなく、他者と共生して生きていく力を育むということです。自分と違っていても、違いを認めて否定しない広い心を持てる人になれる。そのためには、あるがままの自分自身を、親や身近な人に受け入れてもらえたという経験が欠かせません。
一方、子どもが人として許せないことをしたら、お母さんやお父さんは、震えるような想いで叱ってください。子どもを思えばこそ、許せないという思いをしっかりわかるように伝えることも、愛なのです。
でも、親はいつも適切な叱り方ができるとは限りません。ひどい叱り方をしてしまったなと反省したり、いろいろな失敗をしたり……。そんな経験を積みながら、親もまた親としての道を歩んで行くのだと思います。
子どもが産まれてくるときに、どの親も「元気に産まれてきてくれれば、何も望まない」と思うことでしょう。親としての自然な思いです。でも、それが叶えれらないときもあります。成長発達がゆっくりしていたり、病気や障がいがあったり、突然ケガを負うこともあるでしょう。子どもが生まれ、育つ過程は、さまざまなリスクと予想外のことが続きます。それでも、親はわが子を心から受け入れ、愛し続けられたらと願わざるをえません。なぜなら、子どもは愛されるために生まれてきたのですから。
子どもは「授かりもの」という考え方がありますが、私は「預かりもの」と思います。授かるというと、「運良くいただいてうれしい。でも、それは私のものになる」というイメージがありませんか。でも、子どもは親の所有物ではありません。
親は「子どもの命を預からせてもらって、そして育てさせてもらっている」のです。そういう謙虚さが親には必要ではないかと思います。
すべての子どもが「産まれてきて良かった」「明日に希望が持てる」と思って、生きて行ってくれたらと願います。でも、それは親だけの努力で叶えられるものではありません。親や家庭の役割と責任は勿論大切ですが、同時にいろいろな人が目をかけ、手をかけてこそ、子どもは健やかに育つことができます。障がいのある子どもを育てている親が「子どもより先に死ねない」と思いつめざるを得ないような社会では、そもそも親になることが非常に難しく思えますし、どの子も安心して、のびやかに育つことが難しいのではないでしょうか。
国や各自治体の子育て支援の政策やサービスも、ここ10~20年の間に大きく変化し、整備されつつあります。社会の皆で、子どもの成長を、すべての子どもの健やかな育ちを支えようとする方向に向かっていますから、親も上手にSOSを発して、そうした支援を利用しましょう。
親自身が、「理想の親」像にとらわれすぎないことが大切です。自分や家族がハッピーでいられる暮らしを想像して、そのために何が必要なのか、探してみましょう。今は子育てで大変でも、「10年、20年たったら、あんな風に地域で活動してみたい」「あんな人生の達人になれたらいいな」と思えるモデルを見つけられるといいですね。
子育てだけに夢中になってしまうのではなく、仕事や地域活動、趣味なども視野に入れて、今の、そして、近い将来の生活設計を描いてみると、子どもや子育ての風景もまた違って見えてくることでしょう。そうして肩の荷をふわっと軽くすることも、子育てを楽しむコツかなと思います。
イラスト/犬塚円香 取材・文/高祖常子