成長に伴って新たな一面が表れる
「いい子に育って欲しい」そう考えたとき、親が育てやすい「いい子」を想像し、子どもをそのようにし向けていませんか?親として何をすべきか、どう接したらいいのかをスクールカウンセラーで医師の明橋大二先生にアドバイスいただきました。
明橋大二先生
真生会富山病院(富山県)心療内科部長、スクールカウンセラー、児童相談所嘱託医。NPO法人子どもの権利支援センターぱれっと理事長。子育て講演会や、雑誌などでも親に対してメッセージを発信。著書は『子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版)ほか
「自己肯定感」「自己評価」が土台となり、
次に可能になるのが「しつけ」「生活習慣」。
それを土台にしてはじめて可能になるのが、「勉強」です。
「いい子に育って欲しい」と親なら誰しも思うでしょう。でも、「いい子」と言うのは、大人から見た話し。わがままを言って親を困らせない、親の意に反したことをしない……。多くの場合、親が育てやすい子を、「いい子」と言っているように思います。
私は精神科医ですが、心身症(体の疾患に、心の問題が大きく関わっている病気)の人を診ていると、小さいときにむしろ手がかからない「いい子」だった人が多くいます。もちろん、みんながみんなそうではありませんが。なぜ、いい子が心配かというと、心の土台である自己肯定感がしっかり育っていない場合が多いということです。
自己肯定感は、子どもの心が育つ上でとても大切なものです。自己肯定感とは、自分は必要な存在である、生きている価値がある、大事な人間だと思えること。手のかからないいい子の場合、自分のありのままを表現することができず、心を押さえ込んでいたり、親の意向に合わせようとしている、自己肯定感が低くなっていることが多くあります。
自己肯定感とは、いい子であっても悪い子であっても、「あなたは生きていて良いよ」「存在していていいよ」「あなたを認めているよ」という世界。しつけや社会のルール、勉強を身につけさせる前に、自己肯定感を心の土台として育むことが大切です。
「いい子でも悪い子でもOKというのは、おかしいのでは?」「いい子になるように、育てていくべきでは?」と思うかもしれませんが、家族とは本来そういうものです。たとえば、いい子ならポイントが上がる、悪い子ならポイントが下がる。ある一定以上のポイントを失うと、家族の資格を剥奪されて放り出される……。そんなことは、たとえば会社ではあり得るかもしれませんが、家族ではあってはならないことです。
お父さんお母さんもそうでしょう。給料を稼いでいるうちはいいけれど、給料が下がったり、リストラされたら父親の資格を剥奪されるというものではないはずです。
仕事ができようとできまいと、病気になって働けなくなっても、家事が上手にできてもできなくても、やっぱりお父さんはお父さん、お母さんはお母さん。
どんな時にでも支えあえる、その人の存在自体が大切。家族とはそういうものでしょう。
いい子でもいい子でなくても、かけがいのない大切な存在です。ましてや子どもはまだまだ未熟。生まれて数年しか経っていないわけですから、できないことがたくさんあるのは当たり前です。
イヤなことやつらいことがあったら、ギャアギャア泣いたり騒いで、親を振り回す子がいます。そういう風に自分の気持ちをアピールする。親もイライラして叱ったりするでしょうが、実際は、家から追い出されたりせず、温かいご飯を食べさせてもらって、安心して眠りにつく。そして「こんな自分でも受け入れてもらえる」「認めてもらえる」と確認できるわけです。
そもそもしつけや教育は、心の土台がある上に成り立つもの。その上で、しつけや勉強をしていくわけです。昔は人間関係が濃密で、一緒に生活する時間も長く、ほどよく目をかけられて育っていた。親や周囲の人たちとの暮らしの中で、子どもの自己肯定感が育まれていました。
ところが今は、精神的な親子関係が、希薄になっています。親子が一緒に過ごす時間は長くても、子どもを認めたり、許すことが少ない傾向にあります。
お母さんお父さんが子どもに厳しくしてしまうのは、親自身が、厳しくしつけられてきたからでしょう。だから子どもにも厳しくなってしまうようです。
子どもは、いい子になること、できるようになること、努力することばかりを強要されると、自分がいい子でいる間は存在を認めてもらえるけれど、もし自分が悪い子になったら、怒ったり泣いたりしたりしたらその途端に見捨てられるんじゃないか、見放されるんじゃないかと思ってします。勉強だってできるに越したことは無いけれど、例えできなくてもそれで、人間としての存在価値が無くなったりするわけではないでしょう。また勉強をがんばれば、それなりに成果があらわれるかもしれません。
自己肯定感が低いと、親の言うとおりにできなかったり、成績が悪いと「自分は生きる価値なんかない」と思ってしまう。自分を大切に思えず、追いつめられると小学生でも自分の命を絶とうと思う子もいるわけです。
自分のマイナスの感情(イヤだと言う、だだをこねる、親の意に反するものを欲しがるなど)を出して、それを受け止めてもらった経験がないと、そういう感情を出してはダメだなんだと思ってしまうこともあります。この「受け止める」ということは、何でも子どもの思い通りにすることではなく、共感することです。
手のかからないいい子になっている場合は、子どもが自分のいいところも悪いところも両方出せるようにすることが大切です。子ども自身に選ばせたり、泣いたりわめいたりも受け入れること。そうすることで「あ、こんな自分でも存在していいんだな」と確認できるのです。
生まれてから1歳半までは、自分では何もできませんから、いっぱい抱っこしてもらって、おむつを替えてもらって、たくさんの愛情と安心感を親からもらうでしょう。ただ1歳半くらいになると、少しずつ自分でできることも増えてきます。この1歳半から3歳までが、「自己主張しても大丈夫なんだ」と親試しをする期間です。
この時期にたくさん、甘えさせることが大切です。手のかからないいい子で育った子は、思春期に親試しが出ることがあります。親に暴力を振るったり、自分を傷つけるような行為がこれにあたります。
「いい子」の概念を変えていかなくてはなりません。ただルールを守る、我慢するだけでなく、適切に自分の気持ちや、甘えや、主張を表現できる。自分の気持ちを相手に伝え、相手の気持ちもちゃんと受け入れることができる。私は、いい子とは、自己肯定感が育まれている子だと思います。
自分を信頼できる、自分に自信があると、やればできるという意欲がわき、困難なことにもチャレンジしようとします。でも、自分に自身がないと、「どうせダメだ」と物事に向かう気力がなくなってしまいます。
親はつい「そんなに引っ込み思案だったら、幼稚園で友だちができないよ」などと、不安を与えて、無理矢理尻を叩いて自立を促そうとしてしまいがちですが、そういう自立はすごく不安に満ちた自立。困難にあたると、すぐにぽきっと折れてしまいます。
でも、親から十分な安心感をもらって、「いつまでも甘えてちゃ格好悪いな」と自ら離れていくのが本当の自立。十分に甘えて安心感を得ると、自立できるのです。
子どもの心は手のひらの中の卵みたいなもの。締め付けすぎると割れて壊れてしまうし、放しすぎるとコロコロ転がってどこかへ行ってしまう。ほどよい力で支えていくことが、とても大事です。
取材・文/高祖常子